近代史
TBS・テレビ放送50周年ドラマ特別企画美空ひばり誕生物語がやってました。
[戦時中戦後の過酷な生活、家族の絆。美空ひばりにスポットを当てながら、現代人が忘れていた感覚を伝えていた。
決して昔の家制度や文化が今より優れている訳ではないが、今の社会は過去を経て構築されているので、過去の遺産として葬ることは出来ない(多々遺産として葬る、忘れている)。戦後に生まれた世代が現役で社会を作っている今だからこそもっと若い人は日本の近代史を知らななければ、と思っています。その点でTBSはこのタイミングでこのキャスティングで企画をしたことは素晴らしいと思う。
また、最近は 『二十歳のころ〈1〉1937‐1958—立花ゼミ『調べて書く』共同製作 新潮文庫を読んでいます。
二十歳を生きる東大・立花ゼミ生が各界で活躍する諸氏に直撃取材!第二次世界大戦勃発、原爆投下、日本国憲法発布、公害問題、東京タワー竣工…帝国主義から民主主義へ、日本が劇的な変貌を遂げた1937〜1958年に「二十歳のころ」を生きた有名無名31の軌跡。』約10年前に出版されたもの。戦後60年が経過し、掲載されている方々の何割がまだ生きてらっしゃるのか、分からない。こういった方々の戦時戦後を語る言葉は実にリアルで鮮明だ。戦後長い時間が経ったからこそ語られる、また自分達の世代しか語れないことなど、とても貴重で、時代を多面的に映し出す。
過去を知ることは、現代社会を知ることで、必然的な形で眼前にあるモノモノを知ること。現代社会で問題になっている社会事情の元凶はたいてい戦後の民主主義に日本がシフトする前後にある。表面的に代えるだけで対処してきた結果、問題は肥大化してきた。しかし根本的に変えなければ成らない時期なのだと思う。再編する為には、過去を知ることは興味深いし、必要なこと。
他国に左右されず、日本人が日本人らしくなることが、やはり解なのだと思うのです。
その意味で最近は日本文化にも興味があります。最近は和紙について色々見ているので、その見解もまた今度。
オランダの光

製作・監督:ピーター-リム・デ・クローン
2003年のオランダ映画でフェルメールの絵画の光を解明する映画。
この左のフライヤーも素晴らしい出来。
今月の世界不思議発見でもこの映画やテーマを追っていました。
単純に言うと、フェルメールの絵画の光は人の目で感知しない光を捉えていて、当時発明されたカメラの視点を駆使した結果、あのような光を捉えることが出来たということ。
フェルメールの絵画は中世のヨーロッパ事情をとても知ることができる。
民の生活、風景、絵の具、光。
単に絵描きではなく時代をとても感じるのは、彼が当時の最先端を感じて作っていたから。
時を超えて一枚の絵画で彼と会話が出来ることは、4次元的美しさもある。
時代を経ても輝きを失わない作品は、美しいとか素晴らしいとかの言葉を超える次元の作品である。
つまり時代を切り開くことが、本当の意味でのアートだし、アートの役割だと思いました。
Gorillaz New Album

4年ぶりとなる新アルバムDEMON DAYSを聴きました。最近のiPodのCMの曲feel good incを含め中々の期待通りの仕上がりでした。
2001年の春、ヴァーチャル空間にて突如誕生した4人組、Gorillaz。PVやCDでの登場はアニメであることは勿論、ライブも巨大スクリーンに映し出しやってしまう、徹底ぶり。しかも、その絵がカッコイイ。
アメコミをベースにしているが、アメコミ独特のアクが少なくPVではCGを多様し絵的に斬新さを全面にも押し出している。
音楽ジャンルはジャマイカン・ダブ、ニューヨーク・ヒップホップ、キューバン・ミュージック、サウス・ロンドン・パンク…次元を超えダビーかつフッキーな極上ダーク・ポップを提供する。
世界各国で大人気なのはその音楽性に優れているのは言うまでもないが、コモンセンスに響くサウンド、グラフィック作りに違いないし、そのクオリティーに脱帽です。
モナコGP
F1シリーズ第6戦、モナコ・グランプリの決勝が78周(1周3・340キロ)で競いました。F1ドライバーも憧れるモナコGP。モナコ市街を舞台に時速300Km越えの車が駆け抜ける、最も危険で難しく、華があるGPです。
やはり、アクシデント続きで 24周目、ミラボーでミナルディのクリスチャン アルバースがコースを塞いで6周あまりも、イエローフラッグ。その際ミハエル シューマッハがクルサードに追突してフロントウィングを失い周回送れなど(しかし13位に後退するがラップタイムをくり出す)、油断出来ない。
市街地だけにコースの全体がフェンスで囲まれ、死角だらけ、オーバーテイクも危険すぎる。普通のコースではあり得ない状態だけに、針の穴に糸を通すような凌ぎを削る走りがモナコの魅力。 65周目、トゥルーリがローズヘアピンでフィジケラのインに強引に飛び込む(結局リアタイヤがイカレタが)ところが素晴らしかった。常人では考えられないところで想像を超えるドライビング。
結果はライコネンが2位のアロンソに13.3秒差の圧勝だったけれど、トゥルーリとシューマッハが何だかんだで目立っていたね。
来週29日はヨーロッパGP決勝、BARホンダ勢の復活戦。頑張って欲しいところ。
ディスカッション
IIDに行きました。「アートは学校に何ができるのか?」 と言うテーマでどのような新たな創造ができるのかを考えるパネルディスカッションに行って来ました。美術は絵を描く、作る、観るという風に教育現場では扱われ、時間も他の主要教科に比べ少ない。しかし、それはとても狭義な捉え方であり、美術は感じることと、その表現であると思っています。
美術大学では実技の時間で、畑したり、目隠しをして裸足で校内を歩いたり、料理を研究してまとめるといるなんて、一見美術とは関係ないこともしたりします。それは感じることを、分析し、自分だけの答えを形にするということです。また、身近なものから新鮮な感覚を回帰すること。そして形にすることは、決してモノを作るだけでなく、歌ったり、踊ったり、言葉にしたり。それが美術だと思います。
また美術的思考は現生活でも豊な人格形成に有効です。
学校教育の現場では、一つの解を求めることがとても重要視されますが、現実では他の人とは異なる唯一の解を求められます。しかし、まだその重要性は教育現場では理解されず、また一般の方も美術というと絵を描く程度にしか思わないのが現状です。
少なくとも美術を通じて好きなこと、やりたいを感じるココロが育つ環境作りが必要ですし、引いては社会の活性化や安定化が図れると思っております。
今日の2つのディスカッションではそんなことを思わせるものでした。
Design Festa vol21
Design Festaはお祭りでしかなく学園祭のようかな?イメージを持っていて余り興味がなかった。
ブースに出店している方々は多分学生が8割くらいで、個々に作品を披露している感じ。で、だいたいの作品は値段を付け売られている。それが、とても悲しく思えていまった、僕だけだろうか?
いくらでも構わないけれど値段を自分で決める場合、例えば500円って書くと、その作品は500円の商品になるし、500円の価値にしか見えない。つまり、自分の作品を500円と書くことで、500円で終わってしまう気がしてしまう。
一般的に売られているものは、需要と供給のバランスで500円に納めようとして、また大量生産をするという点で、個人の一点物の作品とは大きく意味合いや価値って異なると思う。それを前提として500円と書いているのなら、まあ良いのだけれども…。
でも、せっかくのDesign Festaという大勢のくる場では、書かずに欲しい人と話して値段を決める方が、売る方も買う方も絶対ハッピーだと思う。
って思うことに拍車をかけたのは、ブースにただ居るだけで、ずっと物を黙々と制作している人や、話掛けてもそれ程乗り気でない方々が多くて、Design FestaのFestaって何?って感じてしまったから。
美術関係の人ってやっぱり他者との直に接するコミュニケーションは苦手だったり、とても独特だってことは、今まで僕も同じ道を歩んで来たんで理解できるし、否めない感はある。
僕はデザインは伝えることコミニュケーションとしての表現だと思っているだけに何か残念だし、Design Festa自体が活気づいてないような気がしました。
一日出店するだけでも1,2万も払っているし、入場者は千円も払っているのに、もったいないと思う。Design Festaの主催者サイドもフォローできるアナウンスをしても良いのではと思った。
ウナセラ・ディ・トーキョー
世田谷美術館で企画写真展ウナセラ・ディ・トーキョーを見てきました。
7人のカメラマンが撮るそれぞれの1935〜1992年の東京の800点の写真企画。
1935〜1992年は戦前のモダン建築が立ち並ぶ東京、敗戦後の荒廃した東京、復興を遂げる東京がある。
それは他国とは比べものの成らない変化をし、変貌と言い換えられる程だ。
展示会は普通の展示会は様相を逸し、老若男女がそれぞれの感慨を持って見ているようだった。
作家のファインダーを通した目を介して、当時のその風景に立ってみる。
作家は何を思いその瞬間を時間を過ごしたのか、現在の東京と照らし合あせることでより親密に感じ取られた。
決して昔を懐古する写真展ではなく、自分自身の所在を明確にさせ、これからを照らすようなメッセジーを持つ展示会として受け取れた。
totoGoal3

サッカーくじの「totoGOAL3」は先日8日から発売しました。totoGoal3は得点を予想する「totoGoal」の対象試合を5試合から3試合に減らすことで、組み合わせ総数はこれまでの約105万通りから約4,000通りとなりました。
そもそも105万通りなんて当たる訳が無いっと思って全く興味なかったのだけれども、4000通りならって思うが、それは皆同じなんだし配当金は少なくなるよねぇ。必ず勝てると思えないと賭け事や、勝負しない質なので、基本的には困った時の神頼み用です。なぜなら捨てる神あれば拾う神ありで、人生バイオリズムが沈んでいる時こそ、くじは当たると細木氏が言っていから。
前置きが長くなってしまったけれども、今日一番書きたかったことは、totoGoal3のCMのこと。
サトエリを筆頭とした女性アイドル3人がサッカーゴールを各自担いで走ってから、3つ並べて置いて「totoGoal3~」って言うCM。
単純明快にコンセプトを絵で見せ、かつ巨大なサッカーゴールを担いでいるビジュアルがとってもイイ感じ。
こうゆうテイストのCMって結構ありがちだが、ベタなイメージに成り下がってないのは、人選やテンポはもちろん、あのサッカーゴールをアイドルが担いでいることに尽きる。