迷宮ダンス
昨日今日と世田谷美術館でワークショップ〈誰もいない美術館で〉 vol.6 『迷宮ダンス』に参加してました。
西洋近代美術のなかのベルギーの作品展示を背景に作品で感じた音を出し、身体表現するというプログラムでした。
美術館と動きや音とは相性が悪いものとされていますが、決してそうでは無いことが検証されたような気がします。
アートは言葉に置き換えられがちですが、その作品を見た時の感動は言葉ではなく音や衝動で最初に受け取れるはずです。
難解な解釈や知識を必要とせず、あるがままを見てその感動をファーストインプレッションで表現し、それを他者に伝えることの連鎖。
実に様々な年齢層でおのおのの視点や表現方法は異なり、その表現を受けてどう表現するのか。
絵画が機転となった言葉のないコミュニケーションはJAMのように肥大化する。どれほど自分が言葉や視覚に頼ってコミュニケーションを行っていたか、言葉や視覚以外のコミュニケーションの可能性や発受信方法を感じました。
また、言葉や視覚以外の方法を主としたコミュニケーションを切実に問われました。
またアートの原点は何なのかってことを凄く感じ、考えさせられました。
美術館で名画を背景にして表現出来る爽快と高揚感はそれこそ言葉に置き換えられないもので、企画協力してくださった世田谷館は素晴らしいとしか言いようがないです。
デザイン論〜Vol.2
デザインのオリジナルデザインとテンプレートデザインはファッションのプレタポルテとオートクチュールとの差と同じ。
当たり前のことだったのだけれど、今更ながらデジタルとマニュアルの行為が繋がりました。
デザインが氾濫している昨今、デザインの行為自体を色々考察しています。
出来るなら大量消費されない大量生産出来るデザインを目指しています。
教育問題
知人がやっているNPOの活動で、小学校でワークショプに参加して来ました。日常で子供と対峙する機会もなかなかないので、とても新鮮でした。
もう、さすが小学生ってな感じで、てんやわんや。
自分もついこの間まで、小学生だったような感覚になってしまいつつも、年の差を感じつつ。
教育問題が糾弾されている昨今ですが、結局は子供の本質は変わっていなく、それをとりまく、大人のあり方が昔と著しく変わってしまっているのかなって点も多々思わせられました。
珠玉混合の情報は溢れていている現代で、どれを取捨して与えるかが問題とされているが、その大人自体も情報に左右されているから解決策はなかなか見いだせないのではないでしょうか。
学校教育で出来る範囲っていうのうはごく一部でしかなく、また国や教育委員会が指定した教育範囲はカバーしたことをしなければ成らない訳だし。しかしその教育範囲は国民とし最低限の教養の範囲をどう与えるか、どう受け取らせるかがとても大切だと思っています。なぜなら、同じ情報でも吸収や定着を良くし、それを経た発信の内容は異なるから。教育内容ではなく教育方法が今どうあるべきかの方が比重があると思う。
どう与えるかの選択肢として子供が何に対して夢や期待を描けるか。それに向かうだけの選択肢と道のりを教育の現場では示さなければならない。不特定多数の学校教育ではある事柄に興味のある子も無い子もいて教師が1人1人の可能性を引き出すのは困難なのは否めない。
個人的には教育の場に置いては、教育のプロである教師はプロのオーガナイザーであると思うし、その教育の場にその分野のプロフェッショナルが参加することで、より生活に密着した教育もありかな。
皆に平等で均等な教育をすること自体に無理や欲求を感じていることは確か。
学校教育は今転機であると思うけれど、現状の日本社会を考えると難しい。
昔に比べ日本は豊になり、生き方は多様化している。
戦時中のような国家レベルの思想や他国のような宗教がなく、昔より生きやすくなったと言われるが、逆に死にやすくなったとでも言える。結局日本が夢のある国になれば、教育問題は解決するのかなーなんて思ったけれど、その前に日本政府は解決しなければならない問題が累積している。
少なくとも教育の場でそういった現状をアナウンスすることは、今必要なことだと思いました。
F1フランスGP
F1フランスGP アロンソ、ルノーに22年ぶりの母国勝利。アロンソは圧倒的な強さだった。2ストップで燃料を多く積んでいながら驚異的なラップタイムを繰り出し圧勝した。時代を捉え不動ものにした感さえある。
F1も後半戦に入りやっとフェラーリ勢の本来の強さにもマシーンやタイヤが追いついて来てここからが正念場の戦いになるだろう。
無尽蔵な走りをした琢磨は贔屓目なしに面白い存在だった。まさしく侍魂を持ってF1に参戦している。常にトップになる為に攻め続けるのは無謀であるがF1の本質の闘争本能を剥き出しにして戦っている。微妙なテクニックやマシーンが理想にあと少し近づくだけで優勝も夢ではないレベルである。彼のようなドライバーが増えることで、F1は何倍も面白くなるはずだ。
僕の好きなスポーツはF1 Soccer Dance K-1 Bike Prideなど。
一見共通点はないように見えるかもしれないけれど、命を掛けた戦いをやっている点で繋がる。
モータスポーツは勿論いつ死んでもおかしくないスポーツだ。理解ない人はなぜ死ぬ為に走るのか?と思うかもしれないが、モータスポーツには理由はない。本能的に速く走りたいだけなのだ。それが素晴らしく感じるからだ。
格闘技も同じだ。素人がk-1のリングに上がれば間違いなく殺されるだろう。強くあるということは、美学である。
サッカーは常にフィールドという戦場で有機的に考え動かなければならない。サッカーほど先の読めないスポーツはない。個人技が素晴らしい選手を抱えたチームが勝てるとは限らない。それはジョングルで狩りを行うことと同じだと思う。他の団体競技もそういった点はある部分はあるが、サッカーほど熱は帯びていない。
ダンスは言うまでもなく、その瞬間を生きることとが美学に昇華される。生きることがダンスであるのだ。
スポーツ以外でも共通するが心を動かすことは、命を掛けて戦っている姿だと思う。