食べ物
当たり前ではあるけれど、食べ物って血となり肉となるから大切だなって思わされました。口に入れて消化されて細胞になるまでは4週間。でその細胞が劣化して入れ替わるまでが6ヶ月。化学的には常に自分は新しくなり、やがて6ヶ月後には6ヶ月前の自分とは全く違う自分になっていることって知ってました?
野菜や果物を食べなければ成らないってことは知っていますが、成分の差をそれ程かん考えてなかったのですが、最近のスーパーに並んでいる野菜は出荷時には青いままで収穫して、輸送の時に熟れさせているんです。
当然、栄養価も熟れる前の数分の一。しかもハウスで年から年中作られる環境では土地の養分も少ない訳で。。
もちろん今では品種改良問題や農薬問題も否めない。
おいしく安心した食事をするのはもう難しい社会なんですね?
そんなことを考えると、おいしく安心した社会も難しいのですか?
その為に知恵や科学が補ってくれる社会なのですが、なんともスッキリした気分にはなれないのは何故でしょう。
summer sonic 05
土曜日にサマソニ行って来ました。幕張メッセで行うので、都心から近いし、LIVEはクーラー聞いてるし、食べ物はどこでも売ってるし、正に都会っ子のフェスって感じで、快適でした。RIZE, RHYMESTER, FIRE BALL, THE MAD CAPSULE MARKETS, 電気グルーヴ, SLIPKNOT, NINE INCH NAILSのLIVEに参加してきました。超豪華メンツのオンパレードで始めっから飛ばしまくりでした。
なんといってもフェスならではの高揚感、盛り上がりが凄いエナジー。ピースでハッピーな幸せな空間。
RIZEはモッシュの嵐で一番ヤバかった、朝一から既に声が枯れる程絶叫。。
レゲエのFIRE BALLのLIVEでは戦争反対のメッセージを即興で歌にして感動。
トリのNINE INCH NAILSは千葉マリンスタジアムを観客で埋め尽くし1時間30分の熱演。
何万人もの人が同じモノを共有して一体化できる音楽のパワーを目の当たりにしました。
会場にいって曲にノッて音を体で感じることで、体細胞がブルって共鳴するあの感じは、CDでもTVでも知り得ない。
音楽は凄い。それに尽きます。
それと人は音と共に生きているのだなとも実感しました。
ggg
先の土曜日に数理的概念を視覚的に表現する佐藤雅彦の展覧会を開催中のGGG(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)に行きました。土曜と彼の人気もあってか、場内は満員に近い状態。
所狭しと彼のスタンスの作品、研究室の活動があり、美術と数学の関係性、つまりは人は何を美とするかを数学的概念で紐解いている。美的感覚を実証することも正に美術なのだなと思わされる。でも、作品はとても単純明快で小学生でも理解できるところが更に素晴らしい。
言葉
言葉は事象を曖昧にしていると思う。(その曖昧さが言葉の素晴らしさであることは確かですが。。)アートを万人に理解させる場合、やはり言葉に依存しなければならない。言葉の揺らぎや曖昧を補う行為として、アーチストはアートを行うのに。。個人の中で完結する場合言葉はいらない筈ですが、不特定多数の第三者を仮定してアートを伝える場合は大抵言葉が必要になってしまう。
僕は言葉は言葉として完結するものだと思っているので、アート=言葉にならない。
言葉を還元することはアートを曖昧に、時として歪めるものである。アート以外にもその現象は当てはまる。
良い物がそれなりの評価を得るべきと思うのです。。逆も然り。
消費社会に晒されて、アートは混沌としているような気がします。
不完全な言葉遊びに翻弄されないようにしたいです。
それは現状のマスメメディアを疑うこと、自分の価値観を信じること、他者を受け入れること。
しかしながら、上記を伝える手段が言葉であることに、憂鬱さを感じます。