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August 2006 Archive

{ Art }

武術から美術と日本へ

武術、殊に古武術には日本的感覚が詰まっています。
まず「ぶ」はの音には
【無】【歩】【不】【分】【武】【夫】【部】【侮】【嘸】【奉】【憮】【无】【舛】【葡】【舞】【嘸】【蕪】【賦】【錻】【廡】【豊】【誣】【鵐】【廡】
が当てはまります。
次に「じゅつ」はの音には
【術】【述】【恤】【朮】
が当てはまります。
それらの意味を含め武術はぶじゅつなのです。
武術のおおきな特徴の1つは身体的武術は体をひねらず、静から動と直線的に身体を扱う。
西洋スポーツと比べ武術が武術足らしめる点でもある。
力学的にも実は体をひねらないことは無駄のない動きで、今や100m走の選手はこれに習っている。体をひねって動くのは、自然と思われるが、予備運動の惰性から生まれる動きで、バランスを取りつつ動くのに優れているだけの稚拙な動作なのだ。
最も負荷の少ない動きは、重力を味方にした動き。
それは自己の意思とは別に存在する環境を考慮すること。
つまるところ自然を感じ一体になる日本的美的間感覚に繋がるのです。
自我を超越した流動的かつ普遍な存在を自分に取り込むことで、儚さや虚しさをより高次元で捉える術ではないでしょうか。
日本文化は武術においても美術においても八百万の神と通信する神道を主とする文化背景が見え隠れするのです。
平面的でありながら立体的に見える、一元多神を信じ実行するさまは正に術でしか他ならない。
美術はartではなく、美術は美術でなのです。
そんな日本がこの上なく奥深い。
ちなみにに「び」はの音には
【美】【日】【火】【微】【備】【媚】【寐】【寐】【尾】【嵋】【弥】【弭】【彌】【未】【枇】【梶】【濔】【瀰】【琵】【眉】【糒】【糜】【縻】【薇】【跛】【靡】【麋】【麋】【麼】【鼻】
が当てはまります。
それらの意味を含め美術はまたびじゅつに成り得る。

雨海水

理にかなった造形を成す自然物はそれだけで、美しさを感じます。
自然物が黄金律を成す構造的に、生物学的にも合理な形態を本能的に美しく感じるのは、人間の性なのです。その点で人工物は常に自然物と対峙しながら、美しさを競いあう儚い泡沫のようです。
何事も人が一生懸命に頑張っている姿や、天命をまっとうしている姿・生き様は、とても美しく感じるのは、生物学に当然なことことなのでしょう。
美しさはつまり、生命として隙のないことかもしれません。
ただ、化粧や道化を纏うことが美しいとは言い切れません。
それは、多生物をみると明らかではないでしょうか。
時代や時空を超える美しさは、生命力を感じます。
また美しさは生物が生物であり続けられるように、完成度が非常に高いところに存在します。
様式や形式の美しさは、文化的経過に発見した美しさです。
それは小宇宙で完結する哲学や思想であり、閉じられた世界。
その世界の鍵をもち得て見える眺望を楽しむのも一興。
しかし、その出口を忘れてはいけないのです。
コンテキストを読めないことは白痴で、結局出口を忘れていることと同義ではないでようか。
最後に、美しさは理想で有り続けるが故に進化出来るのです。
多様であるこの美しさを演じるのが生の舞台であると思います。