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Art Archive

{ Art }

Building block

Design is like a building block.
Clients have variable issues.
Individual issue make no sense.
Most in case, Clients Know just a outstanding issue.
However, designer can see what is lack of their logic and how to solve their issues.
When likely to play a building block, you should take a pice of issue for base.
Sometime, more big issue clients have, more designer will make unique and steady design in the end.
Making a design, required the eyes which cloud see everything.
I think it will be posses such eyes not only designer but also grand creator who makes new things.

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What is visual?

We use eyes when we see.
I often think if I were blindness.
Of Course I am not blindness now. So If I lost vision, I could image what is it.
Human also depend on vision than other felling.
It is 60-70% of sense that vision are based on.
Surely, Almost information appeal our vision.

But I think that instinct or physical is not depend on vision.
Done something when we feel some emotion, we received other sense.
Photo,TV,movie or newspaper and so on, some visional information is indirect.
If we grasped the vision, we could be more exciting.
I think how can we feel vision.

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I need love

Assumably I think 'I need love' has nice proportion.
What's meaning?
for example,
I need love I need love I need love I need love I need love I need love I need love
I need love I need love I need love I need love I need love I need love I need love
I need love I need love I need love I need love I need love I need love I need love
I need love I need love I need love I need love I need love I need love I need love
I need love I need love I need love I need love I need love I need love I need love
I need love I need love I need love I need love I need love I need love I need love.
Do you get it ?
It's rhythmical and has good interval and seems like perspective.
As a matter of fact, itsmeaning is the same.

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完成と未完

シンクロワールドカップ2006フリーコンビネーションを見た。
結果はご存知の通り1位ロシア、2位日本、3位スペイン。
ロシアの演技は正確緻密なもので、減点する要素が全くなかった、その点で優勝は紛れも無い実力でロシアあった。しかしながら、まったくエキサイティングでなかった。
譜面通りに奏でているコンピュータのようである。
それは揺らぎがない。正確に完成された中にも敢えて揺らぎが無いと、完成度は高いが、美しさや感動は生まれないらしい。
自然物が完成度を保ちながら、個々それぞれが個性たる特性(未完成)を内包し、環境に対応しているからだろうか。
日本の建築はその点で敢えて画竜点睛を欠く為に、柱を傾ける、彫刻を欠くなどして隙を持った。そして、修繕をしていくことで、常に新しくあり、環境・時代に対応していた。
(『失く』と『描く[加える]』は同義なのである。)
実は完成の中にも未完成があるものほど、魅力があり美しく思えることを、前代の方々を知り得ていたのだ。
間違いなく、シンクロワールドカップ2006フリーコンビネーションは1位ロシアであるが、2位日本の演技の方が魅力的でエキサイティングであった。
結果と感動は比例しないのである。

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武術から美術と日本へ

武術、殊に古武術には日本的感覚が詰まっています。
まず「ぶ」はの音には
【無】【歩】【不】【分】【武】【夫】【部】【侮】【嘸】【奉】【憮】【无】【舛】【葡】【舞】【嘸】【蕪】【賦】【錻】【廡】【豊】【誣】【鵐】【廡】
が当てはまります。
次に「じゅつ」はの音には
【術】【述】【恤】【朮】
が当てはまります。
それらの意味を含め武術はぶじゅつなのです。
武術のおおきな特徴の1つは身体的武術は体をひねらず、静から動と直線的に身体を扱う。
西洋スポーツと比べ武術が武術足らしめる点でもある。
力学的にも実は体をひねらないことは無駄のない動きで、今や100m走の選手はこれに習っている。体をひねって動くのは、自然と思われるが、予備運動の惰性から生まれる動きで、バランスを取りつつ動くのに優れているだけの稚拙な動作なのだ。
最も負荷の少ない動きは、重力を味方にした動き。
それは自己の意思とは別に存在する環境を考慮すること。
つまるところ自然を感じ一体になる日本的美的間感覚に繋がるのです。
自我を超越した流動的かつ普遍な存在を自分に取り込むことで、儚さや虚しさをより高次元で捉える術ではないでしょうか。
日本文化は武術においても美術においても八百万の神と通信する神道を主とする文化背景が見え隠れするのです。
平面的でありながら立体的に見える、一元多神を信じ実行するさまは正に術でしか他ならない。
美術はartではなく、美術は美術でなのです。
そんな日本がこの上なく奥深い。
ちなみにに「び」はの音には
【美】【日】【火】【微】【備】【媚】【寐】【寐】【尾】【嵋】【弥】【弭】【彌】【未】【枇】【梶】【濔】【瀰】【琵】【眉】【糒】【糜】【縻】【薇】【跛】【靡】【麋】【麋】【麼】【鼻】
が当てはまります。
それらの意味を含め美術はまたびじゅつに成り得る。

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バランス

自然界ではある一定間隔で共存動植物は繁殖しています。
芽でる時から完成系の間隔ではなく、成長するごとに間引かれ完成系に向かいます。
そしてミクロでもマクロでも密度は変化しないようです。
自然界は最も効率の良いバランスで成り立っています。

バランスは ABだけの関係でなく幾重の関係で成り立っているので、全ては間接的にも繋がっています。
そんな感覚は実はとても日本人はコモンセンスとして持ち得ていると思うのです。
お互いの感覚が繋がる日本文化。それは、個人個人から全体の感覚がコミュニティーがバランス上で結ばれ、自然自体の感覚とつながります。
その感覚は、物質や感覚の所存を時には、入れかえれるモノとも、行き来できるモノともと捉えていました。

自然界の法則は統計学的に最も効率の良いバランスで成り立っているのは周知の通りです。
さらにバランスの良いもの自体には生命力が宿り、全体として生命力を保つのです。
転じて、バランスの悪いことは致命的であることは、あまり知られていないようです。

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エコプロダクツ2005

INAX デザインフォーラムのみですが行って来ました。
デザイナーからのエコについての話はやはり、ダイレクトに言葉が入ってきます。
とても貴重なフォーラムでした。

消費や生活スタイル、社会システムの変化、多様化によってデザインの在り方も問われています。
現在商品が消費者に渡るまでは、(デザイン以外にも様々な要素や人を経て、購買に移るのですが)デザイナーとして使う素材はもちろん、エネルギー効率、耐久性やトレンドは最低限の知ってデザインしなければならないと痛感しました。企業活動の一つの商品デザインの果てには社会システム自体をコントロールするチカラもあるからです。
大手企業はそういった努力をしているのも、重々知っているのですが、 エコプロダクツ2005の各企業ブースや販促物の量や質を見る限り、エコと反エコの矛盾を隠せない感もあります。
企業が消費者を変えるよりも、消費者がもっと主体的に確固たる未来へのヴィジョンと生活習慣を身につけなかればならないと思います。でなければ、せっかくエコ技術も経済のためだけにしかならないのですから。

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デジタルアートフェス

行って来ました。テクノロジーの発展によってアートのあり方も多様になってきてます。殊にインタラクティブなデジタル作品の発展は素晴らしいもので、一個人であってもそれなりの投資や専門知識がしなくてもシステムを構築できるのは、今日のテクノロジーの恩恵です。より身近に感じられる仕掛け作りは、今後さらに普段の生活の中でも多く当然のもののように見受けれるようになるでしょう。そんな日を待っています。何が素晴らしいっと言う訳でもなく、感じさせられました。勿論アートはそんな領域を横臥すべきものだと思います。

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思考と感覚が対峙する

先日友達の主催するコンテンポラリーダンスを見てきました。
出演している方々もほぼ同年代ということで、親近感をもちながら約1時間の公演。
踊ること、演じること、伝えること、魅せること、美しいこと。舞台の寸劇では、生きること自体や存在が露呈する。
だから、美しくも儚く感じてしまうのかもしれないです。
思考と感覚が対峙する、、そんな感銘を受けました。

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ワークショップ2

先の休日に小学校にワークショップに行ってきました。
学校に潜む顔をポラロイドカメラに収めマジックで加筆するということをしました。
例えば、消化器がトリに見えると思うのならば撮って、消化器の形を活かして目を描いたり、周り情景を描き加えたリしてストーリーを考えて行くというもの。
子供たちのサポート役として参加しているのですが、意外に自分でやってみると、とっても楽しい。
同じ視点に立って一緒に楽しんだ感じになってしまいました。
また子供の発想の機転の良さを学んびました。

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梯子

axisでのBRAUN展を観ました。BRAUNはデザイン重視の会社で昔から良質なデザインでブランドイメージを維持し続けています。axisではBRAUNの今までのプロダクトやカタログや企業姿勢が展示しており、年代を追って観ることができました。計算しつくされたそのプロダクトからこの会社の素晴らしい精神を垣間みることが出来、充実した内容になっています。
 
0508_01.jpg
資生堂ギャラリーでは大巻伸嗣の個展を観ました。現代を映したようなインスタレーション。とても感慨深い作品です。認識する現実と眼前の現実を克明に体感できるような仕掛けが施してあります。切なくもあるその美しさは浮き世である現代のマトリックスの入り口かと思わされます。

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エコデザイン展

リビングデザインセンターOZONEにて。
現在のエコデザインと言うと
・素材が廃材を出さない、少ない、廃材利用。
・省エネを助ける機能をもつ、示す。
・長持ちする。
・何通りも使い方がある。
と言った感じでしょうか。
プロと学生の作品がフロアを区切って展示してありました。
プロの方は勿論クオリティーは高いのですが、学生の方が省エネに対して対峙していました。

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メゾン・ド・ヒミコ

ゲイのための老人ホームを舞台に、生と性と死を描く。
美しくもあり儚い彼らの生き様は力強い。
青いキャンバスに光彩色を散りばめたような映画でした。

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ggg

content01.gif先の土曜日に数理的概念を視覚的に表現する佐藤雅彦の展覧会を開催中のGGG(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)に行きました。土曜と彼の人気もあってか、場内は満員に近い状態。
所狭しと彼のスタンスの作品、研究室の活動があり、美術と数学の関係性、つまりは人は何を美とするかを数学的概念で紐解いている。美的感覚を実証することも正に美術なのだなと思わされる。でも、作品はとても単純明快で小学生でも理解できるところが更に素晴らしい。

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言葉

言葉は事象を曖昧にしていると思う。(その曖昧さが言葉の素晴らしさであることは確かですが。。)アートを万人に理解させる場合、やはり言葉に依存しなければならない。言葉の揺らぎや曖昧を補う行為として、アーチストはアートを行うのに。。個人の中で完結する場合言葉はいらない筈ですが、不特定多数の第三者を仮定してアートを伝える場合は大抵言葉が必要になってしまう。
僕は言葉は言葉として完結するものだと思っているので、アート=言葉にならない。
言葉を還元することはアートを曖昧に、時として歪めるものである。アート以外にもその現象は当てはまる。
良い物がそれなりの評価を得るべきと思うのです。。逆も然り。
消費社会に晒されて、アートは混沌としているような気がします。
不完全な言葉遊びに翻弄されないようにしたいです。
それは現状のマスメメディアを疑うこと、自分の価値観を信じること、他者を受け入れること。
しかしながら、上記を伝える手段が言葉であることに、憂鬱さを感じます。

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迷宮ダンス

昨日今日と世田谷美術館でワークショップ〈誰もいない美術館で〉 vol.6 『迷宮ダンス』に参加してました。
西洋近代美術のなかのベルギーの作品展示を背景に作品で感じた音を出し、身体表現するというプログラムでした。
美術館と動きや音とは相性が悪いものとされていますが、決してそうでは無いことが検証されたような気がします。
アートは言葉に置き換えられがちですが、その作品を見た時の感動は言葉ではなく音や衝動で最初に受け取れるはずです。
難解な解釈や知識を必要とせず、あるがままを見てその感動をファーストインプレッションで表現し、それを他者に伝えることの連鎖。 
実に様々な年齢層でおのおのの視点や表現方法は異なり、その表現を受けてどう表現するのか。
絵画が機転となった言葉のないコミュニケーションはJAMのように肥大化する。どれほど自分が言葉や視覚に頼ってコミュニケーションを行っていたか、言葉や視覚以外のコミュニケーションの可能性や発受信方法を感じました。
また、言葉や視覚以外の方法を主としたコミュニケーションを切実に問われました。
またアートの原点は何なのかってことを凄く感じ、考えさせられました。

美術館で名画を背景にして表現出来る爽快と高揚感はそれこそ言葉に置き換えられないもので、企画協力してくださった世田谷館は素晴らしいとしか言いようがないです。

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東京日和

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今日は都内各所を巡って作品を見てきました。D&DEPARTMENTと六本木ヒルズとAXIS galleryと東京国際フォーラムと ギンザ・グラフィック・ギャラリーと丸ビル。どれもとっても良い感じで、鋭い視点と形に落とす際のセンス、社会性に富んだ作品が見れました。そんな時は作品に勢いを感じます。写真は新丸ビルの建設現場のフェンス。他にもこんな感じでグラフィックが数十点で一周600mくらい囲んでました。カッコイイー。

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オランダの光

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製作・監督:ピーター-リム・デ・クローン
2003年のオランダ映画でフェルメールの絵画の光を解明する映画。
この左のフライヤーも素晴らしい出来。
今月の世界不思議発見でもこの映画やテーマを追っていました。
単純に言うと、フェルメールの絵画の光は人の目で感知しない光を捉えていて、当時発明されたカメラの視点を駆使した結果、あのような光を捉えることが出来たということ。
フェルメールの絵画は中世のヨーロッパ事情をとても知ることができる。
民の生活、風景、絵の具、光。
単に絵描きではなく時代をとても感じるのは、彼が当時の最先端を感じて作っていたから。
時を超えて一枚の絵画で彼と会話が出来ることは、4次元的美しさもある。
時代を経ても輝きを失わない作品は、美しいとか素晴らしいとかの言葉を超える次元の作品である。
つまり時代を切り開くことが、本当の意味でのアートだし、アートの役割だと思いました。

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ディスカッション

IIDに行きました。「アートは学校に何ができるのか?」 と言うテーマでどのような新たな創造ができるのかを考えるパネルディスカッションに行って来ました。美術は絵を描く、作る、観るという風に教育現場では扱われ、時間も他の主要教科に比べ少ない。しかし、それはとても狭義な捉え方であり、美術は感じることと、その表現であると思っています。
美術大学では実技の時間で、畑したり、目隠しをして裸足で校内を歩いたり、料理を研究してまとめるといるなんて、一見美術とは関係ないこともしたりします。それは感じることを、分析し、自分だけの答えを形にするということです。また、身近なものから新鮮な感覚を回帰すること。そして形にすることは、決してモノを作るだけでなく、歌ったり、踊ったり、言葉にしたり。それが美術だと思います。
また美術的思考は現生活でも豊な人格形成に有効です。
学校教育の現場では、一つの解を求めることがとても重要視されますが、現実では他の人とは異なる唯一の解を求められます。しかし、まだその重要性は教育現場では理解されず、また一般の方も美術というと絵を描く程度にしか思わないのが現状です。
少なくとも美術を通じて好きなこと、やりたいを感じるココロが育つ環境作りが必要ですし、引いては社会の活性化や安定化が図れると思っております。

今日の2つのディスカッションではそんなことを思わせるものでした。

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Design Festa vol21

Design Festaはお祭りでしかなく学園祭のようかな?イメージを持っていて余り興味がなかった。
ブースに出店している方々は多分学生が8割くらいで、個々に作品を披露している感じ。で、だいたいの作品は値段を付け売られている。それが、とても悲しく思えていまった、僕だけだろうか?
いくらでも構わないけれど値段を自分で決める場合、例えば500円って書くと、その作品は500円の商品になるし、500円の価値にしか見えない。つまり、自分の作品を500円と書くことで、500円で終わってしまう気がしてしまう。
一般的に売られているものは、需要と供給のバランスで500円に納めようとして、また大量生産をするという点で、個人の一点物の作品とは大きく意味合いや価値って異なると思う。それを前提として500円と書いているのなら、まあ良いのだけれども…。
でも、せっかくのDesign Festaという大勢のくる場では、書かずに欲しい人と話して値段を決める方が、売る方も買う方も絶対ハッピーだと思う。
って思うことに拍車をかけたのは、ブースにただ居るだけで、ずっと物を黙々と制作している人や、話掛けてもそれ程乗り気でない方々が多くて、Design FestaのFestaって何?って感じてしまったから。
美術関係の人ってやっぱり他者との直に接するコミュニケーションは苦手だったり、とても独特だってことは、今まで僕も同じ道を歩んで来たんで理解できるし、否めない感はある。
僕はデザインは伝えることコミニュケーションとしての表現だと思っているだけに何か残念だし、Design Festa自体が活気づいてないような気がしました。
一日出店するだけでも1,2万も払っているし、入場者は千円も払っているのに、もったいないと思う。Design Festaの主催者サイドもフォローできるアナウンスをしても良いのではと思った。

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ウナセラ・ディ・トーキョー

世田谷美術館で企画写真展ウナセラ・ディ・トーキョーを見てきました。
7人のカメラマンが撮るそれぞれの1935〜1992年の東京の800点の写真企画。
1935〜1992年は戦前のモダン建築が立ち並ぶ東京、敗戦後の荒廃した東京、復興を遂げる東京がある。
それは他国とは比べものの成らない変化をし、変貌と言い換えられる程だ。
展示会は普通の展示会は様相を逸し、老若男女がそれぞれの感慨を持って見ているようだった。
作家のファインダーを通した目を介して、当時のその風景に立ってみる。
作家は何を思いその瞬間を時間を過ごしたのか、現在の東京と照らし合あせることでより親密に感じ取られた。
決して昔を懐古する写真展ではなく、自分自身の所在を明確にさせ、これからを照らすようなメッセジーを持つ展示会として受け取れた。