Tags
Nowadays, there are developed information technologies.
We can get every informations, anytime and anywhere.
Before such a are, informations was worth or force.
Of course, it's still powers, but it's more easy than before to get.
I just want to say that it's not important that we just know.
We don't need pay or pend times to teach or know because of using internet.
So we have only to know how to search. So more we search well, more we can get detail.
For instance, searching something by internet engine, the result is connect to searching words.
It's not only index but words, which is called tag.
The most valuable site is prioritized by searching words.
If you indicated better article than any others, it's the best.
Those actions also can be instead of our relationships.
Nowadays, we sometimes know each other not to be introduced but to contact directly by information technologies.
And personal value is depend on case.
It dose not matter age, nationality, position or money.
How many tags we have is more important than like that.
Certainly, more valuable person or information will be needed more intimate relationship, which like ID & pass word of website.
But it's depend on your skill, I mean communication with others or web program.
Nevertheless, we can know something, and then what will we do or think about that is most important things, because such actions make more important tags.
Take care
Who pretend to be known or be completed.
All of us are not perfect and lack of something.
We anxious to compensate ourselves.
We might know and do that by instinct.
Since we've possesses nothing when we were born, all we have to do care others and overlook everything.
We've never known truth even oneself.
Podcast
I have a good time with Podcast.
When I work on desk I listen like radio.
Lately,Podcast with movie, TV or PV or motion clip and so on.
My favorite is "tamabi.tv" , which tamabi is one of the famous Art university in Tokyo. http://www.tamabi.tv/
This site contain lecture ,research,CM,animation,movie, drama.
We'd like more learn in life. But we have few time study on school.
Actually, I want attend a lecture Shinnichi Nakazawa who took up Art Science Course professor post at April 2006.
He is not artist but cultural anthropologist.
Today I think art has diversify by IT.
Who has one idea express something by PC.
We should know a fundamental knowledge of man.
So,I want attend his lecture.
Of course, the site on contents has interesting as well.
箱庭
箱庭とは心理療法の手段としてユング心理学を応用した心理療法です。
日本での心理療法で家族の絵を描くことの方がポヒュラーで、幼稚園の頃よくお題として皆さん経験されたことがあると思いますが、箱庭はその立体バージョンのようなものです。
具体的に箱庭は、砂の入った箱の中に色々な人形や動物、建物などのミニチュアを置いて、想像する世界や気持ちを創造するものです。
元々は子どものための心理療法のためにヨーロッパで考案されたものです。
しかしながら、箱庭を都市と言う舞台、制作者は居住者として捉えることで、都市の個性を心理学の立場からの考察も可能です。
しかしながら、この限られた空間で一つの世界を表すことは、ことさら日本に根付いている文化なのです。
小さくは盆栽から庭園、寺院、地域へと個々の世界が1つを構成しなはら、全体を成すマトリューシュカのような構造が日本自体と考えれます。
近代の日本の景観の乱れは箱庭から見地でみると、ひどいものである。しかし、また新たな極地へと形成する過渡期かのようにも思えます。
またその認識は単なる私見であり内包する箱庭なのでしょう。
やはり箱庭は私見なのです。それは現実と内面は入れ子であるとも言えます。
現実を変えることは困難であるが、内面を変えるで現実を換えることは出来ます。
何も無く、全て有るのが箱庭なのです。
現実は箱庭であると思うと、気が楽でありがシリアスでもあります。
芥川の格言に「人生とはマッチ箱に似ている」というのがあります。「 重大に扱うのはばかばかしいが重大に扱わないと危険である」という意味です。此処にもまた箱庭は存在しているだと気づくのです。
日本文化はとても箱庭的構造を持ちあわせるのは、事象と自己と他者が繋がっている文化であるとも言い代れるのです。箱庭の試みがとても日本的だなと思うのも、この所以で有るのでしょう。
そしてまた上記は全て私見であり、現実であると気づくのです。
WBCと日本とイチロー
WBCの日本における盛り上がりはイチロー効果である。松井であったとしても、この大義の代役は努められただろうか。日本メディアとしても今回のWBCは劇的な優勝によって、当初の予想以上の筋書きで成り上がったのは間違いない。
客体としてイチローはメディアを翻弄するのが彼のもう一つの役割であったのが、優勝することでさらに顕著になった。
彼が強気な発言をすることは、日本チームに対しては勿論であるが、マリナーズ牽いてはメジャーリーグ、日本野球界に対しての警笛であったし、観るものの存在を揺るがす内容であった。
彼が職人的なバッティングマシーンだけではないことは、周知の事実ではあり、また秀才なカリスマアスリートには専門以外のセンスが必ず備わっている。ヒーローを見失った日本野球界、いや日本自体に救世主として祭り上げられるイチローはスタジアムのバッターボックスにいるような役をスタジアム外でも演じていた。ヒーローインタヴューや、記者会見、メディア外を介して明らかに一流であるが所以の存在を示す彼のような存在は今の日本野球界には見当たらない。
あらゆる分野で世界に開かれることは歓迎すべきことだが、日本球界は世界と比較した際に生き残れる実力、話題性、愛着性が備わっているか今シーズンのペナントレースで試されるが、結果は見えていると思う。
WBCはJリーグのように日本人のローカルプレイ離れを明確にした分岐点であった。また、イチローはそれを危惧しながらも浮き上がらせた。
日本球界は今年以降更なる窮地に立たされ、才色兼備のイチロー的人材を要求される。
球界がいくら繕おうとしてもメディアは常にクールで正直であり、強者を迎合する。
装置・表参道ヒルズ
新しくもありながら既に街に馴染んでいる感がある。
サーフェスはコンクリート、表参道側には絶え間なく変化するネオンを装している。
地上4階以上は住居やガーデンがある。変化すること自体を宿命とする、ファッションのアチテュードや、仏教的な概念は、この場所だからこそ実現できる試でしょう。
内空間は外観からは想像を絶する。それこそ、表参道ヒルズの真骨頂であり、安藤の今回の主なる美学が或ります。
中央を階段でB1からB3まで繋げている。(直線で青山側の地上出口へ繋がる階段も含めることもできる)あえて不便である階段をそこで使うことで、地下から観るあのシークエンス、パノラマを堪能できる。階段を歩くことで視線と照明と音響のたゆまない変化を感じることができる。
さらにその空間は、建物の中でありながら外空間でを演出し、空間というより景観を内部に作るパラドックスの役割を担っている。
各階はスパイラルの回廊で隔たりの無くつながり、概念的には階数があるのだけれど、自然空間のように階数の概念は消え去る。その空間は建築でありながら、建築を脱し、自然景観的に建築空間は存在する。それこそ、今回の最もたるメッセージであり、名前とおりの表参道の谷を作ったのではないだろうか。
それは、ナウシカの文脈から谷を解体して、谷から始まる森を想像することも実に楽しくも思える。文化の中心であり、明治神宮へ繋がるあの土地から、日本人のみがレセプターを持つ自然へのプリミティブな観念の喚起、再発信装置として機能を表参道ヒルズは託されている、と思うのは深読みでしょうか。
ブログは広告で存る。
一見もっともらしく聞こえますが、
それは決して個人を広告する意味ではありません。
ブログを書く行為がマスメディアによって喚起されいるいるのではないでしょうか?
個人がブログを書くことはつまり、特定の企業の広告や利益になっているということです。
それはコミュニケーションを建前に売りにした携帯ツールを同様です。
不在であることが逃れられない近代社会は個人の存在自体さえも、税金と同様にある団体から利益追求されます。
利便の奥に隠れた資本主義を見極め選択することが必要です。
でなければその選択することさえ奪われかけているのですから。
五輪
トリノオリンピック始まりましたね。
雪、氷の上だけあってit's cool。
どの競技も夏と比べ、動きが派手で華があります。
どちらにしても、資本主義国家主体の盛り上がりの冬期五輪。
資本の上でできるアレらの競技の下地には、世界の経済構造が隠されているのは、眩しすぎるステージに隠されている。
それ自体が良し悪しではなく、浮かれて観ているのもまた理不尽であり、資本主義にスポイルされているメディアを認識し、国際親善の名の下に屈することが必要だと思う。
また、今後五輪自体もそれに気づき改善して欲しいと思うのです。
東横インの企業体質
東横インの企業体質で色々避難されています。
条例を確信的に違反することも、障害者たちを卑下するような発言も、断じて許されるべきではないと思います。
しかし、障害者保護の横浜市のような条例は必要なのでしょうか?
東横インのようなビジネスマンだけにターゲットを絞ったホテルの経営戦略はビジネスマンたちにとってと有益なサービスであることは確かです。
仮に障害者の施設の為に従来のサ−ビスや料金設定が維持出来ないというのは利用者はもちろん、経営者にとっても利益はないです。
横浜市のような条例を撤廃し、任意にホテルごとが施設やサービスを設定でき、競争出来るのが本来のスタイルかと思います。
その点で、横浜市は逆に障害者にとって過ごしづらい現実を直面させ、サービスの画一化にしてしまっていたのです。
そもそも、当横インの不正改築が今回の事件まで行政が気が付かなかったのが、おかしな話です。
そもそもこれらの条例が、行政の仕事を増やすだけのものになっていないのではないでしょうか?
衆議院選挙
1日行けないので、早々行って来ました。期日前投票ってことで会場には投票者は誰もいなく、暇そうに話している選挙管理のおばちゃんが15名。。あぁ、ここでも無駄な税金が使われているのかと。
結局どの政党も一方通行の話しかしてしていないので、何が本当に日本の為になるのかは、一般人にしてみれば出たとこ勝負である。言うなれば失敗なさそうな無難な党が票を集めそうな気がします。今回の結果で飛躍的に良くなるか、悪くなるかを期待したい。飛躍的に良くなる分には申し分ないけれど、悪くなった時には国民がやっと現状に気づくと思うので良いのでは。取りあえず現状維持のままでは国政は悪化するのは間違いないのだから。11日の結果が楽しみであります。
愛知万博
行ってきました。期待通りの充実した内容で、行って来たかいがありました。金曜日に行ったにも関わらず大勢の人ヒトひと。休日よりは空いているのだろうけど、人気のパビリオンには長蛇の列、平気で3時間待ちとか、、よく並びますわ。そして暇な人が多いのかと思わされる。諸外国の人はこんな実情を見てどう思うのかなぁ。また主側はなんとか緩和出来ないのかと思いました。開幕して半年が過ぎて改善されてこの状況ですし。
愛・地球博と言うだけあってエコを意識した万博で、いたるところにそれなりの工夫が施されて、各パビリオンにしてもそれなりのメッセージがあり、とても感動するものがありました。
しかしながら当初から地域住民が反対をしていたように、あれだけの広大の地域を切り開く必要はあったのか懐疑的です。万博サイドとしては、森を活かした創りや、資材の再利用を配慮した創りをして環境に優しいと謳っていますが、それは今までの万博との比較であって、もっと異なる形で場所を選んだり、会場作りをコントロールしてもも良かったのではと思います。
また、それだけのメッセージが有りながらも、それを伝えることが出来ているのかということも改善点が多く求められる部分が多くあります。押しつけることはなく、部分部分で気づいてもらうということなのでしょうか?もっと全面的に押し出した方が効果的であったのでは?
バリアフリーも徹底的に実践していましたが、その分アクセスがとても非効率だった。車いすの方は並ばなくて最前列で見れたりと、とても優遇されてました。それは一般的に良いことなととなのかも知れませんが、逆にそれは失礼だったり、数時間並ぶ人とのバランスだったりだとか考えると、なんともシックリしない部分はあります。と言うか他に行く所がないのかと言わんばかりにこぞって参加していました。いろいろと考えさせられるものがあります。
会場はゴミの徹底的な分別を促すようにゴミ担当の人がとても多い。おかげで会場はキレイでしたが、あれほどの人員が必要なのかと。それ程の警察がテロ対策に必要なのかと。それは必要だから居る訳で、そんな実情にも少し悲しくなりました。なんだか理想な社会とする為には、拘束を厳しくしなければ保たれないなんて考える、偏差値の低い学校の教師が考えるような感じ。次の選挙にもそうですが、今後の日本の分岐点がこの10年間に懸かっているような気がします。その点で、今回の万博のメッセージ的な部分はとても素晴らしものであったことは確かだと思います。
トギセン
今週末は都議会議員選挙。立候補者が都内を奔走してますが、「うるさい」と言うしかないです。彼らは馬鹿の一つ覚えのようにワゴンカーにスピーカーを積んで名前を連呼する。そんな彼らに都民は煽動は出来るかもしれないけれど、決して現状を打破するような政治が出来るのでしょうか。都が選挙を斡旋するための選挙ポスーターを見るように、都議選はもはや通過儀礼のお祭りでしかなく、今後の政権を危惧している人はいないのではないでしょうか。政党に依存した範囲でしか、決まった道をまっとうするだけの政治家は時代錯誤も甚だしいく必要ではない。選挙率の低下は決して政治に無関心だけでなく、期待出来ないという理由も多いにある。
政治家に適していると思われる人物像。1地域社会と海外を比較出来る人 2日本以外でも生活できる知識技術のある人 3コミュニケーション能力のある人 4若い人 5財力がある人
この5項目を満たさない限り、依存した村社会的な政治が行われるのです。果たして現在の政治家にこの5項目を満たしている人物はいるのでしょうか?決して無茶なボーダーではなく、有力な企業には必ずこの5項目を満たしている人物はいるのです。具体的に今政治に参加して欲しい人は、企業で海外での活躍もある30〜40代の方々。客観的に地域を見て、他国との競争力のある地盤を作って頂きたい。まぁそんな方々は日本に執着することもなく、日本の政治がいかにバカバカしく、非生産的かをご存知だと思うので、政治に参加したいとは思わないだろうけれど。
電気スクータ
新宿高島屋に展示ブースを見てきました。排ガス0や燃費も素晴らしいですが、デザインやコンセプトも今らしい良い出来でした。
販売価格はおよそ20万ですが国から最大5万円の助成金がもらえ実際15万くらいで購入できます。
重量も50Kgくらいで町中で走るのはもちろん、車に入れ自転車感覚で持ち運べる点も良い。
燃費は40km/16円と驚くべき高燃費。
展示サンプルでしたが、ipodとつなげ、ボディーにスピーカーを積み音楽を楽しめるなんてのは、まさに電動の利点で、バイクという既成概念を崩すものでした。
問題点は連続走行距離が40kmくらいという点だけで、この点をクリアーできれば普及するのは間違いないと思う。そんな未来もそう遠くなく実現するでしょう。
* YAMAHA EC-02
近代史
TBS・テレビ放送50周年ドラマ特別企画美空ひばり誕生物語がやってました。
[戦時中戦後の過酷な生活、家族の絆。美空ひばりにスポットを当てながら、現代人が忘れていた感覚を伝えていた。
決して昔の家制度や文化が今より優れている訳ではないが、今の社会は過去を経て構築されているので、過去の遺産として葬ることは出来ない(多々遺産として葬る、忘れている)。戦後に生まれた世代が現役で社会を作っている今だからこそもっと若い人は日本の近代史を知らななければ、と思っています。その点でTBSはこのタイミングでこのキャスティングで企画をしたことは素晴らしいと思う。
また、最近は 『二十歳のころ〈1〉1937‐1958—立花ゼミ『調べて書く』共同製作 新潮文庫を読んでいます。
二十歳を生きる東大・立花ゼミ生が各界で活躍する諸氏に直撃取材!第二次世界大戦勃発、原爆投下、日本国憲法発布、公害問題、東京タワー竣工…帝国主義から民主主義へ、日本が劇的な変貌を遂げた1937〜1958年に「二十歳のころ」を生きた有名無名31の軌跡。』約10年前に出版されたもの。戦後60年が経過し、掲載されている方々の何割がまだ生きてらっしゃるのか、分からない。こういった方々の戦時戦後を語る言葉は実にリアルで鮮明だ。戦後長い時間が経ったからこそ語られる、また自分達の世代しか語れないことなど、とても貴重で、時代を多面的に映し出す。
過去を知ることは、現代社会を知ることで、必然的な形で眼前にあるモノモノを知ること。現代社会で問題になっている社会事情の元凶はたいてい戦後の民主主義に日本がシフトする前後にある。表面的に代えるだけで対処してきた結果、問題は肥大化してきた。しかし根本的に変えなければ成らない時期なのだと思う。再編する為には、過去を知ることは興味深いし、必要なこと。
他国に左右されず、日本人が日本人らしくなることが、やはり解なのだと思うのです。
その意味で最近は日本文化にも興味があります。最近は和紙について色々見ているので、その見解もまた今度。
モナコGP
F1シリーズ第6戦、モナコ・グランプリの決勝が78周(1周3・340キロ)で競いました。F1ドライバーも憧れるモナコGP。モナコ市街を舞台に時速300Km越えの車が駆け抜ける、最も危険で難しく、華があるGPです。
やはり、アクシデント続きで 24周目、ミラボーでミナルディのクリスチャン アルバースがコースを塞いで6周あまりも、イエローフラッグ。その際ミハエル シューマッハがクルサードに追突してフロントウィングを失い周回送れなど(しかし13位に後退するがラップタイムをくり出す)、油断出来ない。
市街地だけにコースの全体がフェンスで囲まれ、死角だらけ、オーバーテイクも危険すぎる。普通のコースではあり得ない状態だけに、針の穴に糸を通すような凌ぎを削る走りがモナコの魅力。 65周目、トゥルーリがローズヘアピンでフィジケラのインに強引に飛び込む(結局リアタイヤがイカレタが)ところが素晴らしかった。常人では考えられないところで想像を超えるドライビング。
結果はライコネンが2位のアロンソに13.3秒差の圧勝だったけれど、トゥルーリとシューマッハが何だかんだで目立っていたね。
来週29日はヨーロッパGP決勝、BARホンダ勢の復活戦。頑張って欲しいところ。