音楽シーン
CDの売り上げが激減した昨今、果たしてituneやp2pのせいだけにして良いのだろうか。
明らかに音楽シーンは10年前に比べ盛り下がっているし、売り上げも半額以下に屈している。
ituneをはじめデジタルオーディオで音楽は以前に比べ、市民権を得ているが、売れていない、売っていない。
つまり、現状の音楽シーンに魅力を感じる人が少なくなっていると思う。
それも、生活や思想の多様化に伴い、音楽も多様化を求められているのも然り。
しかし、音楽市場が盛り下がる理由に、音楽の多様化が追いついていないというのは、理由に成りにくい。
そもそも、音楽の売り上げは、現状の方が本来の姿なのかもしれない。
デザインもそうだが、別になくなっても、誰も致命的な痛手を負わない。心の問題だし、スタイルの問題なのだ。
もう、音楽に妄信的に成らないのか、成れない。
諸事情はよりリアル選択肢が求められている、現代のアーティストとリスナーの現れだと思う。
music player
街は音で溢れている。
若者はヘッドホンで耳を塞いでいる。
街は雑踏を掻き消すかのような、ジャンクミュージックで塞いでいる。
彼らは意味の分からない洋楽か、演歌であるJ-POPに夢中だ。
music playerの為に生活の音を失っている。
music playerの音が音楽だと思っている。
それは音自体を失っていること。
音を知ることを放棄している。
music playerの普及でこそ、本来の音楽の価値や、意味が明らかになる。
ただ下底の人は気づかず、マーケットから消費を促される。
だから、そんな彼ら自身が実はmusic playerなのだ。
そして、彼らも迎合しているかのように思える。
FPM
写真の中の写真、映画の中の映画などのダブルイメージという手法は古来から使われています。音楽においてそのような手法はサンプリングやミキシングに当たります。
DJが既存の作品を個人のフィルターを通してアウトすることも、とてもエキサイティングです。
さらに音楽はライブであり、場の雰囲気によって選曲や編曲される既成曲は、DJの観念の提示で観客の概念を揺すぶりである。体を包むビートは疑似的な鼓動の共有でもある。
音楽は勿論聴くもので、感じるものであるけれど、殊更クラブミュージックは聴くものではなく、通すものであるような気がする。
summer sonic 05
土曜日にサマソニ行って来ました。幕張メッセで行うので、都心から近いし、LIVEはクーラー聞いてるし、食べ物はどこでも売ってるし、正に都会っ子のフェスって感じで、快適でした。RIZE, RHYMESTER, FIRE BALL, THE MAD CAPSULE MARKETS, 電気グルーヴ, SLIPKNOT, NINE INCH NAILSのLIVEに参加してきました。超豪華メンツのオンパレードで始めっから飛ばしまくりでした。
なんといってもフェスならではの高揚感、盛り上がりが凄いエナジー。ピースでハッピーな幸せな空間。
RIZEはモッシュの嵐で一番ヤバかった、朝一から既に声が枯れる程絶叫。。
レゲエのFIRE BALLのLIVEでは戦争反対のメッセージを即興で歌にして感動。
トリのNINE INCH NAILSは千葉マリンスタジアムを観客で埋め尽くし1時間30分の熱演。
何万人もの人が同じモノを共有して一体化できる音楽のパワーを目の当たりにしました。
会場にいって曲にノッて音を体で感じることで、体細胞がブルって共鳴するあの感じは、CDでもTVでも知り得ない。
音楽は凄い。それに尽きます。
それと人は音と共に生きているのだなとも実感しました。
Gorillaz New Album

4年ぶりとなる新アルバムDEMON DAYSを聴きました。最近のiPodのCMの曲feel good incを含め中々の期待通りの仕上がりでした。
2001年の春、ヴァーチャル空間にて突如誕生した4人組、Gorillaz。PVやCDでの登場はアニメであることは勿論、ライブも巨大スクリーンに映し出しやってしまう、徹底ぶり。しかも、その絵がカッコイイ。
アメコミをベースにしているが、アメコミ独特のアクが少なくPVではCGを多様し絵的に斬新さを全面にも押し出している。
音楽ジャンルはジャマイカン・ダブ、ニューヨーク・ヒップホップ、キューバン・ミュージック、サウス・ロンドン・パンク…次元を超えダビーかつフッキーな極上ダーク・ポップを提供する。
世界各国で大人気なのはその音楽性に優れているのは言うまでもないが、コモンセンスに響くサウンド、グラフィック作りに違いないし、そのクオリティーに脱帽です。